以前に出張設定にお伺いしたお客様から、無線LANの設定に来て欲しいと連絡を受けました。
仕事も無事終わり、作業完了報告と次回の仕事もお願いしますと言うと、「あなたがいちばんなんでも話しやすいからまたお願いね」と言ってくれました。
自分で商売をしていて一番うれしい瞬間、また一言です・・・
こんなうれしい言葉を聞くとまた、一期一会の精神でがんばらねばと、いつも自分に言い聞かせています。
一期一会とは、自分の一番好きな言葉です。人と人とのつながりや出会いは、自分の人生の中で一度限りのものであるから全力で臨むという言葉の意味でよく人生の教訓や座右の銘になっています。
この言葉は茶道から出たもので、江戸時代末期、桜田門外の変(1860年)で暗殺された幕府の大老井伊 直弼(いい なおすけ)(1815年(文化12年)〜1860年(安政7年))によるものです。
井伊直弼は彦根藩(現在の滋賀県)の藩主で、江戸幕府大老、石州流の茶人でもありました。著書「茶湯一会集(ちゃのゆいちえしゅう)」に一期一会の言葉を使ったことから世間に広まりました。
茶湯一会集(ちゃのゆいちえしゅう)で「そもそも茶湯の交会は、一期一会といいて、たとえば、幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたたびかえらざる事を思えば、実に我が一世一度の会なり。去るにより、主人は万事に心を配り、いささかも粗末なきよう、親切実意を尽くし、客にもこの会に又逢いがたき事を弁え、亭主の趣向何一つもおろそかならぬを感心し、実意をもって交わるべきなり、是を一期一会という」とあります(漢字、仮名は現代表記)。
いくど同じ主客であっても再び返らないことを考えれば、一生に一度の会であるから万事に心を配り、いささかも粗末のないように、親切実意を尽くし、客も亭主の趣向をおろそかにしないようにといっています。
一会集の「独座観念」には茶会が終わり、客が帰るとすぐ戸を閉めるのではなく、客を見送った後、にじり口から入り炉前で座り「今日一期一会済みて、ふたたび返らざる事を観念し、あるいは独服をいたす事、是一会の極意の習いなり。」として、この会が再び戻ってこないことを観念し、落ち度が無かったかを反省しながら自服することが一会の習いであるといっています。
2度とない人生ですから何事にも一生懸命で行うことが一期一会の心(精神)であると言えます。一期一会の心には、今の世に薄れかけている「もてなし」の極意が詰まってます。
淡路島観光|あわじウェブドットコム
posted by hide at 23:11
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